
戦後間もないローマを舞台に、家族のために献身的に生きる主婦が、愛する娘の幸せを願い、自分の人生をつかみ取ろうとするーー。イタリアで大ヒットした映画『ドマーニ! 愛のことづて』は、女性による、女性のための、いや、すべての人のための物語だ。監督・脚本・主演を務めたパオラ・コルテッレージさんは、イタリアの国民的コメディエンヌ。ジェンダーギャップなどの社会問題を追求する作品に、以前から積極的に出演してきた彼女が、映画監督デビューとなる本作に込めた思いとは。主人公デリアをはじめとする、当時の女性たちの生き様からケアの形を読み解いていく。
ーー初監督を務める作品として、「女性たちが未来をつかみ取る」ことを題材に選んだのは、どういう思いからだったのでしょう。
女性の差別という問題については、長年自分がコメディエンヌとして、あるいは俳優として、映画だけではなく、劇場やテレビのショーなどでもずっと扱ってきました。なのでそれが私の監督作品のテーマになるのは、ごく自然のことだったんです。

ーーご自身の祖母や母などから聞いた話が、映画のアイデアになっているそうですが、具体的にどんなことを聞いて、物語として膨らませていったのでしょう。
祖母は、彼女が生きてきた戦後間もない時代に、目にしてきたことについて語ってくれました。幸運なことに、映画の主人公デリアのストーリーは祖母自身の経験ではないのですが、身近なところで彼女が見てきたことではあります。というのも当時は、デリアのように必ずしも夫に暴力を振るわれなくても、女性が男性の支配下に置かれるのは、わりと普通のことだったからです。そして映画で描かれているように、集合住宅の中庭などで、女性たちは近所で起きていることを見聞きしたり、噂話で知ったりする。最初に映画をつくろうと思ったとき、ジェンダーバイオレンス(夫婦や恋人など、親しい関係において行われる暴力)について、それと女性の権利拡大について取り上げたいと考えました。モノクロのイメージとともに、冒頭のシーンも頭に浮かんでいました。デリアが朝起きると、夫のイヴァーノにいきなり平手打ちされるんですけど、そのあとまるで何事もなかったように日常の雑事をこなしていくのです。そこに映画の基本的なメッセージを込めています。
当時の女性が置かれていた“当たり前の状況”を描くことで、現在も存在する問題を語りたいという思いもありました。もちろん当時のようにノーマルなことではないんですけど、いまだ似たような問題が起きているのは事実なので、それがよりノーマルだった時代を舞台に描いてみようと思いました。

ーー当時のイタリアの社会は家父長制の影響が強く、その描かれ方が驚きだったのと同時に、日本とも共通する部分が多いのが印象的でした。この映画はイタリアで600万人を動員する大ヒットとなったそうですが、現代の若い世代のイタリアの人たちが、どんな感想を抱いたのか興味があります。
現代のイタリア社会はもちろん大きく変わっていて、女性を守るための法律もたくさんできています。そのために女性も戦ってきましたし、家庭内での男女の役割は、もっとバランスの取れたものになっています。ただその一方で、現代のイタリアでは約3日に1人の割合で、女性が殺されているんですね。フェミニサイド(女性であることを理由にした殺害)といわれるのですが、その多くは元亭主や元パートナー、元恋人などによるものです。なので女性の立場、権利は向上してきたものの、愛情と所有を取り違えてしまうような文化が、悪い教育の影響として残ってしまっている。意識が変わったとされる若い人たちの間でさえそうなので、そのことに大きな危機感を抱いています。
ーー世代間で価値観が変化した部分と、根強く残っている部分は、デリアとマルチェッラの母娘関係からも見えてきます。娘のマルチェッラは、夫に決して逆らおうとしない母に失望し、惨めな生き方だと思う一方、自分の結婚やその相手に対しては大きな夢を抱き、盲目的なところがありますよね。
若い人たちには希望だけではなく、よりよい未来を実現していくための道具も与えてあげなくてはいけません。道具というのは、要するに自分たちの権利であり、それがどういうものなのかを知ること。当たり前のようにある権利が、もしかしたら永遠のものではないのだと認識することが大事です。その道具は、私たち女性が戦いながら勝ち取ってきたものなのだから、もっとしっかり守って、広げていかなければいけないということを、若い世代に伝える義務があると思っています。

ーー映画のなかの女性たちは、日常のつらさを冗談に変えて笑い飛ばしたり、男性には見えないところで助け合ったり、ときに女同士でケンカしてストレスを発散させたりして、困難を乗り越えていきます。こうした女性たちの姿を通して描きたかったことを教えてください。
祖母の話からも、女性たちが連帯していたことは随所に感じられました。ただし当時は、たとえば隣に住む女性が夫に暴力を受けていることを知っていたとしても、どこかに告発するような展開にはならなかったんですね。「どこに告発するの?」「誰に告発するの?」というのが率直な気持ちで、イヴァーノのような夫に当たってしまったデリアは、アンラッキーだったと周りも自分も思うしかない。彼女たちには、どうしようもならないことだったのです。そんななかでも、優しいことばをかけたり、慰め合ったりするような形での連帯は常にあったのだと思います。
ーーとはいえこの映画は、男性を女性の敵として描いているわけではないですよね。たとえば夫のイヴァーノは暴力的だけど弱さが垣間見えたり、一緒に暮らしている寝たきりの義父もわがままで口が悪いけれども、どこか憎めないところがある。男性の生きづらさみたいなところも、さりげなく描いていると思ったのですが、女性を通して描く男性像について意図したことは?
そもそもこの映画は、男性を弾劾するのが目的ではなく、女性がもっと生きやすい世界になるような戦いに一緒に参加しましょう、と呼びかけるつもりでつくりました。イタリアでこの映画を観てくれた人の45%は男性だったので、とても嬉しく思っています。イヴァーノと義父は、たしかにこの映画における悪役ですが、悪役という存在は私たちに恐怖を与えることが多いですよね。このふたりをあえてちょっとおバカに描くことで、恐怖心を軽くしたかったというのはありますね。

ーーその描き方も含めて、全体的にユーモアが散りばめられていました。パオラさんはコメディエンヌとしても活躍されているそうですが、ご自身のユーモアセンスはどんな体験から育まれていると思いますか?
わかりません(笑)。ただ、ユーモアは人生の味方だと思っていて、物事を見るときは、バカげた面にも必ず目を向けるようにしています。私が思うに、どんなに複雑で深刻な問題だとしても、バカげた面やおかしな面を見つけると別のアプローチが可能になって、それが解決の糸口になっていく気がして。その点、ユーモアは恐怖を遠ざける大きな役割があると思うし、ただでさえ私たちは今、いろんなところで恐怖心を煽られていますよね。現代人にとってもユーモアをもつことは、生き延びるために重要なことではないかと思います。
ーーデリアは家族をケアしつつ、外でかけ持ちしている仕事を通しても、献身的なキャラクターとして描かれています。この映画は、ケアがひとつのテーマともいえると思うのですが、デリアの生き方から見えてくるケアの形、あるいはパオラさんがケアという観点から映画で伝えたかったことを教えてください。
デリアはもともと、置かれた状態をまったく意識していない女性、つまり自分のケアをまったくしてこなかったといえます。そんな女性が、いろんな出来事を通して目覚め、成長していく姿を描きたかったのです。名もなき彼女のやったことは、大海の一滴かもしれません。大きな波紋を起こすようなことではないかもしれませんが、ひとりの女性のなかに自分をケアするという自覚が生まれたのは、とても大きなことだといえるでしょう。
『ドマーニ! 愛のことづて』
監督:パオラ・コルテッレージ
脚本:フリオ・アンドレオッティ、ジュリア・カレンダ、パオラ・コルテッレージ
出演:パオラ・コルテッレージ、ヴァレリオ・マスタンドレア、ジョルジョ・コランジェリ、ヴィニーチオ・マルキオーニ
2023|イタリア|原題:C’èancoradomani|118分|日本語字幕:岡本太郎|
公式ホームページ:https://www.sumomo-inc.com/domani
3月14日(金)よりBunkamura ル・シネマ渋谷宮下ほか全国順次公開
兵藤育子 / Ikuko Hyodo
ライター。トラベルカルチャー誌『TRANSIT』の編集・執筆に長く携わる。旅、映画、マンガ、小説などのジャンルを中心に、人物インタビュー、レビューなどを執筆。吉水慈豊著『妊娠したら、さようなら ――女性差別大国ニッポンで苦しむ技能実習生たち』(集英社インターナショナル)の構成を担当。
伊藤 明日香 / Asuka Ito
1992年生まれ、山形県出身。 大学卒業後、代官山スタジオに3年間勤務。
2017年に渡英し、撮影アシスタントの傍らドキュメンタリー写真に軸をおいた作品制作を行う。ヨーロッパ、中東、オセアニアなど様々な土地へ足を運び、現地で出会った人々との対話や土地から受けた印象をもとにコンセプトを決めていくスタイルで、ポートレイトや風景を撮影したシリーズを制作。2年半の滞在ののち、渡仏。2020年に帰国し、現在は東京を拠点に活動。自身の体験から家族、母親をテーマにした作品制作を行っている。