
わたしたち『花椿』の名前にも含まれている「椿」。日本で古くから親しまれてきた花であり、資生堂にとっては特に大切な存在です。椿をモチーフにした資生堂のシンボル「花椿マーク」について、あらためてご紹介します。

資生堂と「椿」。その深いつながりをあらわす「花椿マーク」は、1915年に初代社長福原信三*によって資生堂の新しい商標として考案されました。翌年より事業を医薬品から化粧品へ本格的に移すため、それまでの「鷹」に代わる、より化粧品にふさわしい商標を検討していたといわれています。水を張ったガラスの器の中に椿の花弁と葉を浮かべ、ただようその様を描いた信三の図案をもとに、花椿マークは山名文夫ら歴代の宣伝部員によって図案化されました。
*資生堂の初代社長である福原信三は、資生堂の化粧品づくりやデザインの基礎を築いたほか、先駆的な写真家としても活動していました。信三の芸術への深い造詣は、資生堂の文化に根ざした経営手法をつくりだす原点となりました。



花椿の由来
なぜ、椿をモチーフとしたのか? 信三がその理由を語った社内資料*にはこうあります。「化粧品部開設の当時花椿香油が、その主要な販売製品でありました。従って、花椿製品が一番人気があり、『花椿』と云えば直ちに資生堂と………連想されていましたので、椿の花を主体として図案を構成してみようという動機が出来たのであります」。現在確認できている由来はこのひとつのみですが、信三を近くで見守っていた妻・やうによれば、信三は化粧品部創設の際に日本古来の化粧品を海外へ輸出する計画をもっていたこと、そのために日本独特の意匠をモチーフにすることを検討しており、かねてより日本原産の椿に深い関心を示していたことを明かしています**。
*『資生堂ニュース』(1947年15・16号「花椿マークの由来」より)
**『椿の友』(1963年3月号「花椿のマークについて」)


「花つばき香油」雑誌広告(1915年)(右)
椿の美しさを記録した映画『椿のにっぽん』
「花椿マーク」を社会へ広く周知するため、そして後世に語り継ぐため、資生堂は1962年に椿に関するPR映画を制作しています。その名も『椿のにっぽん』。制作にあたって資生堂は文化史・分類学・生態学の権威として知られる専門家たちの力を借りながら、椿を徹底的に調査。綿密なリサーチを経て、新潟や鹿児島、青森の椿の名所、そして93品種もの椿を半年かけて撮影しています。このPR映画の真の目的は、椿の花に重ねて花椿マーク、そして資生堂を思い出していただくこと。そのため本作ではなによりも椿の花そのものの美しさを強調しています。一輪一輪丹念に映される椿の姿、そして椿のイメージに添えられる「妙蓮寺」や「雪牡丹」、「羽衣」に「黒椿」、「乙女椿」、「白侘助」といったみやびな和名が呼び起こす日本的情緒も相まって、観る者の心に凛とした、清らかな美を宿す映画です。

心動かす美のシンボル「花椿マーク」
『椿のにっぽん』に描かれる、厳しい冬を越え春に花を咲かせる椿たち。その慎ましくも艶やかな美しさは世界に通じ、各地で新しい品種の開発も進んでいます。見た目の麗しさのみならず、つねに変化し、進化しつづける生命力を内に秘めた椿の姿に重ねられた花椿マークは、資生堂の伝統と精神性をあらわすアイデンティティのひとつであり、現在そのマークを冠する唯一の資生堂化粧品ブランドが、SHISEIDOです。『易経』の一文「万物資生」に由来する東洋哲学をもとに、西洋科学をとりいれ、東洋と西洋の融合から新しい文化と価値を生み出してきた資生堂。そのDNAを受け継ぎ、世界90の国と地域で展開するグローバルフラッグシップブランドSHISEIDOは、人間の内なる生命力と外面の美しさが織りなす循環、そしてそれが周囲に変化をもたらす化粧の価値を提案しています。花椿マークが、ART、BEAUTY、SCIENCEを融合する、SHISEIDOのシンボルとして、世界中の美しく生きようと願う人々の希望となりますように。

2025年3月1日に発売した「SHISEIDOアルティミューン™ パワライジング セラム」は、成分に発酵カメリアエキス+*を配合し、「椿」の生命力にフォーカスする、まさに資生堂を象徴する美容液です。
その発売を記念し、2025年4月30日(水)まで資生堂の創業の地である銀座エリアにある3か所の企業ビルにて、「SHISEIDO GINZA ARTプロジェクト」が実施されています。「ART OF CAMELIA」をテーマとし、椿の美しさを大胆に捉えたウインドウアートです。(入場料:無料)
春の訪れを感じる銀座の街並みを楽しみながら、美のシンボルとしての「椿」を感じてみてください。
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*ツバキ種子エキス、アスペルギルス培養物、グリセリン:保湿