銀座――この魅力的な街は、多くの人々にとって、特別な瞬間や記憶に残る場所となっています。親に手を引かれて足を踏み入れたデパート、マスターのこだわりを感じる喫茶店、初デートで訪れたレストラン。どれもが、この街の独特の雰囲気と結びついています。
連載「銀座・メモワール」では、森岡書店代表、森岡督行さんがナビゲーターとして登場します。多様なゲストが織りなす銀座の豊かな物語を共有し、銀座の多面性とその普遍的な魅力に焦点を当てます。連載を通じて、銀座の隠れた魅力と多彩なストーリーに触れ、新たな価値を一緒に発見しましょう。
花士(はなのふ)の珠寳(しゅほう)さんをゲストに迎えた連載「銀座・メモワール#4」。前篇では、銀座のギャラリーで目撃した歴史的な会話や、草木の“声”を聞き分ける指先の経験知について伺いました。後篇は、10年間にわたる銀閣寺(慈照寺)での超現実的な生活や7割で止める美学について。
▼前篇はこちらから
“室町時代”に住み、足利義政と対話した10年間
森岡 お話を聞いていて、以前インタビューで、つねに足利義政と対話をされているとおっしゃっていたことを思い出しました。足利義政は500年以上前に……
珠寳 1490年に亡くなられています。私は慈照寺で義政時代のお花を再考するというミッションをいただいて、10年間花方として室町の花文化を研究していたんです。文献や絵図もほとんど残っていないので、当時のお花を勉強するよりも、和歌や能楽といった中世の芸術やその土台にある禅の考え方を知ることで花の理解を深めていくわけです。それらを解釈する際に、自分の好みを入れるわけにもいきませんから、義政だったらどちらを好まれたかというのをひとつの指針にしたんです。それで、室町時代にいるつもりでお寺では義政と対話をするという10年間を過ごしました。自分でも妄想じみていると思わなくもないですけど、お寺のなかでのお仕事だったので、そういう生き方が可能だったんです。
森岡 500年以上前につくられた空間で暮らし、現代の情報を遮断して、そこに室町時代の情報を流入させると、タイムスリップのような体験ができたということですよね。
珠寳 そうです。
森岡 お聞きしたいのは、そのときに室町の光はどうだったのかなと。今よりずっと立体的だったのではないのかと想像します。
珠寳 電気はありませんから、自然光ですよね。書院は片側から光が入ってくるようなつくりになっているのですが、光が当たる方にお花の見どころを向けて飾る。例えば奥の方、庭がある方から光が入ってきて……
森岡 想像しただけでも、別の世界ですね。向こう側の世界を見るような。
珠寳 なので、今もお稽古をするときは、できるだけ電気はつけずに自然光でお花を見てくださいと申し上げるんです。お花そのものを見せるんじゃなくて、花が立ち上がったことによってそれまで感じなかった気配をその空間に生み出す。それが日本の「いけばな」だと思います。
森岡 一種のインスタレーションに近いですよね。
珠寳 そうだと思います。花一輪が空間にあることで、人の意識に作用して空間全体を感じることができる。
森岡 お花を理解するために義政と対話を続けているということでしたが、きっと特定の“一人”を指針にするのが大事なんでしょうね。
珠寳 私の場合は、当時の将軍さまでしたが(笑)。相手のハードルが高ければ高いほど、自分も一緒に引き上げてもらえる気がします。これは、時代や流行に左右されない勉強方法だと思います。
森岡 なるほど。でも、義政に裏切られたことはないんですか?
珠寳 「どうしてですか?」と尋ねたことはありました。慈照寺の花方を始めて10年目に、お寺での活動がストップしてしまったんです。そのときは本気で怒りました。義政命(いのち)でしたから(笑)。でも、それはシャバの時間軸で考えてしまっていたなと後になって反省しました。元々、慈照寺でのお花のプロジェクトは自分ひとりではとてもやりきれないし、100年後、3代目くらいになって初めてスタート地点に立てるかもしれないという考え方でいろいろ計画していたんです。その地ならしをするのが、自分の役割だろうと。
森岡 3世代先のために仕事をする。確かに銀座のテイラーにもそのような観点があります。
珠寳 当時は活動がストップすることに対して「どうして?」と強く思いましたが、今年、お寺を出て10年目なんですけれど、今は私に必要な10年であったとわかります。だから義政公との対話はこれからも続いていきます。
7割で止める美学
森岡 初歩的な質問ですが、足利義政がお花の文化に与えた影響はどういうものなんでしょうか。その前からたて花、いけ花の文化はあったんですか?
珠寳 そうですね、花を「立てる」という言葉は平安時代にも見られます。ただ様式としてのたて花を指しているのではないです。室町時代から花は「立てる」もので、そこから「いける」や「なげいれる」という花の様式も出てきます。義政公の時代に絞っていえば、いけ花が確立する前に“座敷を飾る”文化がありました。座敷を飾る目的は、イベントがあり客人を招く際に、唐物(その当時貴重な舶来品)を見せて美しく力を誇示することが目的だったようです。だから、唐物の絵画、器物、植物などを気合いを入れて飾る専門の職方も必要でした。日本に生息しないオウムやイヌやネコなどの動物も“唐物”として珍重されていましたね。ですから花は器ありき、唐物の器を引き立てる役割だったんです。
森岡 花は後からなんですね。
珠寳 そうです。義政のおじいさんにあたる義満の頃は特に、闘茶(とうちゃ:茶の味を飲み分けて競う遊び)や婆娑羅(ばさら:派手な人目を引くようなふるまい)のように、自分の力を「どうだ!」と誇示する雰囲気が強いのですが、義政の時代までくだると、ある美意識をもって座敷を飾り、ひとつの美しい世界をつくることに主眼が置かれていたように思います。
森岡 それはなぜなんでしょうか?
珠寳 義政の貴族的な美意識、教養の深さからだと思いますが、応仁の乱という動乱期を経て、足利家の権力や経済力が弱っていたことも影響すると思います。有事のときに東山にこもってお茶やお花をしながら優雅に過ごしていたという批判的な見方もありますけど、乱世はどうにもできないから、美に一筋の希望を見出しておられたんじゃないかなとも解釈できます。だからこそ、いちばん大切な部屋に「同仁斎」と名前をつけた。
森岡 どうじんさい?
珠寳 義政が晩年多くの時間を過ごした四畳半の小間で、今は国宝になっているのですが、名前は「聖人一視而同仁」(聖人君主たる者、一視にして同仁し、生きとし生けるものを分け隔てなく同じように視る)という言葉にちなんでいます。そうした義政の精神性や美意識から、茶や花、香の礎が育まれていったのだと考えています。
森岡 義政の時代は今の状況と被りますね。乱世ですし、経済的にも弱っている。
珠寳 そうですね。でもそういう時代だからこそ、見えなかったことがよく見えるようになるといいなと思います。満々にあると見えないものが、ないから逆に大切なものが見えてくる時期かもしれませんね。
森岡 今のお話とつながるかわかりませんが、粋についてもお聞きしたいです。銀座は粋の街だといわれているので、自分もよく粋ってなんだろうと考えるのですが、珠寳さんのお花にある不完全性というか、7割くらいで留めておく姿勢が粋とは何かを考えるうえでヒントになる気がしました。
珠寳 3割はお任せするみたいなね。義政も“ない”ことを貧しいと捉えるのではなく、それをいかに美しさに転換するのかを考えていたように思います。そこにすばらしい教養があった。私は7割で止めると思っていても、まだ葛藤があります。もう少し手を加えたほうがいいんじゃないかと思うときもあって。やりきらないのは意識していても難しいですね。
森岡 7割で止めるのは、例えば、どんなときに?
珠寳 お花をあと一手加えたいなと思うあたりで止めます。もしかしたら、一手加えたほうが形としてはバランスが取れるかもしれないという思いがあっても、欠けた「間」をのこして、見る人の3におまかせして完成させる。だから答えはひとつではない世界。そんなやりとりの余裕が、もしかしたら粋につながるのかもしれません。
珠寳 花士
2004年から2014年まで慈照寺(銀閣寺)にて初代花方を務め、義政公時代の「座敷飾りの花」「室礼」の顕彰、江戸中期に創流された「花術 無雙眞古流」の再生に10年間従事。慈照寺研修道場にて講座の企画、運営をし、「平和と文化」をテーマに国際交流を企画、実施。
2015年に青蓮舎を設立し、草木に仕える花士として、大自然、神仏、人に花を献ずることをライフワークとし、花朋の会では花を通して豊かな生活時間を提案している。また、能楽、現代美術、音楽、工芸、建築など、伝統から現代の国内外のクリエーターと協働。
2024年からは一般社団法人游神会を設立し、代表理事を務める。精神をおおらかに遊ばせた室町時代の阿弥系のたて花から時代を追って、「いけばな」の精神性、美と術を探求し、記録をとる事業を主軸とする。いけばなのはじまり、成立、展開、関連する学問、芸術、芸能などを知る場を作り、次代をになう人材育成に努める。主な著書:
『銀閣慈照寺の花 造化自然』(淡交社)
『一本草』(徳間書店) 他
森岡 督行
1974年山形県生まれ。森岡書店代表。文筆家。『800日間銀座一周』(文春文庫)、『ショートケーキを許す』(雷鳥社)など著書多数。 キュレーターとしても活動し、聖心女子大学と共同した展示シリーズの第二期となる「子どもと放射線」を、2023年10月30日から2024年4月22日まで開催する。
https://www.instagram.com/moriokashoten/?hl=ja平岩壮悟
編集者/ライター1990年、岐阜県高山市生まれ。フリーランス編集/ライターとして文芸誌、カルチャー誌、ファッション誌に寄稿するほか、オクテイヴィア・E・バトラー『血を分けた子ども』(藤井光訳、河出書房新社)をはじめとした書籍の企画・編集に携わる。訳書にヴァージル・アブロー『ダイアローグ』(アダチプレス)。
www.instagram.com/sogohiraiwaナタリー・カンタクシーノ
フォトグラファー
スウェーデン・ストックホルム出身のフォトグラファー。東京で日本文化や写真技術を学び、ファッションからドキュメンタリー、ライフスタイルのジャンルで活躍。https://www.instagram.com/nanorie/
Ginza Memoir #4 Part 2 Shuho The Beauty of Absence Born in Turbulent Times
2024.10.17
Text / Sogo Hiraiwa
Photo / Nathalie Cantacuzino
Ginza – for many people, this charming town is a place of special moments and memories. The department store you entered while being led by your parents, the coffee shop where you can feel the owner’s attention to detail, the restaurant you visited on your first date. All of these are connected to the unique atmosphere of this town.
In the series “Ginza Memoir,” Morioka Tsutomu, president of Morioka Shoten, appears as the navigator. He will share the rich stories of Ginza woven by various guests and focus on the multifaceted nature of Ginza and its universal charm. Through this series, let’s experience the hidden charms and diverse stories of Ginza and discover new value together.
The fourth guest in the series is Shuho, who has the unusual title of “hana no fu,” a person who serves plants and trees.
As the first professor of flower arrangement at Jisho-ji Temple, known as Ginkaku-ji Temple, Shuho studied flowers during the time of Ashikaga Yoshimasa for 10 years and became independent in 2015. Currently, she is engaged in a wide range of activities through flowers, such as offering flowers to nature and gods and Buddhas, both in Japan and overseas.
On this day, she arranged the flowers in Morioka Shoten’s new office, which was built in one room of the Okuno Building, a retro building that represents Ginza and was completed in 1932.
The straw [a tool used to hold flowers, made of dried rice straw bundled together] is placed in the vase, the branches are cut with scissors with all their might, and water is poured over the vase. The “tatebana” is performed with a ritual-like tranquility, and it instantly changes the atmosphere of the room.
The way that Tamaho arranges the flowers is dignified, and there is no waste in any of her movements. However, Tamaho says that she does not decide in advance what kind of flowers she will arrange that day. If there is a space and a vase, the thing to do will naturally be decided.
Even Tamaho, who seems to have mastered tatebana, once accompanied her master as a bag carrier. And the strongest memories I have from that time are related to the town of Ginza.
A historic conversation between the two giants of the flower world in Ginza
Morioka: I heard that you had a connection with Nonohana Tsukasa in Ginza 3-chome.
Tamaho: Yes. I used to go there with you when I was carrying the bag of Professor Okada Kozo [a representative flower artist of the Showa era and a researcher of classical flower arrangement]. You would stop by before or after going to an antique dealer. I was so busy keeping up with you at the time that I don’t remember which shop it was.
Morioka: Do you have any memories of having a meal with Okada or anything related to Ginza?
Tamaho: I have one very strong memory. I remember going to an antique dealer in Ginza with Professor Okada, and then going to a small gallery on the second floor facing a main street in Ginza. I think it was an exhibition by a calligrapher, but I don’t remember the name of the gallery. By chance, Nakagawa Yukio [avant-garde ikebana artist] was sitting on a bench there. I think they are old friends, but Nakagawa-san just glanced at him and didn’t say anything in particular, and then suddenly said, “Japanese ikebana is heading in a big direction right now, so please lead it.” Okada-sensei just nodded. I still remember it well, the scene of the two giants of the flower world, Okada of the west and Nakagawa of the east, standing side by side.
Morioka: Maybe it was a request to “take care of Japanese flowers.” They may have had different positions, but were they both aiming for similar things?
Tamaho: Tradition and avant-garde, they sound like polar opposites in words, but I think they were looking at the same essence, and I was also taught in that way. So there was no instruction on how to arrange or set up flowers. I think they were looking at life and death. If you go back to the origins of ikebana, there is no fixed form. Of course, it’s natural, because you are dealing with living things.
Listening to the “voices” of plants with the help of your fingertips
Morioka: I’m so touched to see the flowers arranged in front of me. It’s invigorating. I was also touched by the fact that the camellia had a scar. It feels like perfection and imperfection coexist.
Tamaho: I look at flowers as living creatures in nature with the same feelings I do when I look at humans and animals. That’s why I use not only perfect ones, but also plants that are past their prime, have been eaten by insects, and plants that are still in the growth stage, all of which I find beautiful. That’s where all sorts of time axes come into play.
Morioka: There is the past, future, and present in the flowers, and are the flowers arranged to bring together all those different times and spaces?
Tamaho: Yes. When I first arranged the willow stalk, it was like it was connected to all sorts of time and space.
Morioka: I see. Willows are so typical of Ginza.
Tamaho: The part inside the vase that can’t be seen is important. The best part is the water’s edge, a few centimeters from the opening of the vase. When arranging flowers, this is where you focus the most. Look at the water’s edge, then raise your eyes to see the whole flower. The water’s edge is the entrance from the invisible world to the visible world, from the other side to this side, so it’s an important place where energy rises.
Morioka: I was also impressed by the work of thinning or cutting the base of the branches that are placed in the “komiwara”.
Tamaho: That is done by making the part that goes into the wood as thin as possible to get the center. This makes it stand up straight and natural, making the most of the original shape of the branch. Nowadays, “tameru” is used as a term to design branches and flowers by changing their shape, but originally, flowers have a perfect natural beauty, so if there is any distortion in the invisible part below the vase, the shape of the flower is left as it is. This is called “tameru”. The further you go back to the origins of ikebana, the more you will find that flowers are handled with this kind of thinking.
Morioka: We’ve prepared a lot of flowers for you today, but we won’t use them all. What do you use to select flowers?
Tamaho: I don’t come here with any particular idea in mind of “I’ll arrange these flowers today.” It just comes naturally when I meet everyone on site and see the space and vase. It’s like the flowers are saying “Yes, it’s me!” (laughs). At first, I picked up a camellia that was still in bud, but when I arranged it, it felt a bit strange, so I ended up going with this fully bloomed camellia. I try not to look at the flowers as much as possible, and instead take in information with my fingertips.
Shuho Hananofu
From 2004 to 2014, he served as the first ikebana maker at Jisho-ji Temple (Ginkaku-ji Temple), and spent 10 years working to honor the “Flowers for Zashiki Decorations” and “Shitsurai” (Musho Rei) of the time of Lord Yoshimasa, and to revive the “Flower Art Muso Shinko-ryu” established in the mid-Edo period. He plans and manages courses at the Jisho-ji Training Dojo, and plans and implements international exchanges on the theme of “Peace and Culture”.
In 2015, he founded Seirensha, and as a ikebana maker who serves plants and trees, he has made it his life’s work to offer flowers to nature, gods, Buddhas, and people, and through the Kaho-no-Kai, he proposes a rich lifestyle through flowers. He also collaborates with domestic and international creators from traditional to contemporary fields, including Noh, contemporary art, music, crafts, and architecture.
In 2024, he will establish the general incorporated association Yujinkai, and serve as its representative director. The project focuses on exploring and recording the spirituality, beauty and technique of Ikebana, tracing it from the Ami-style Tatebana of the Muromachi period, when the spirit was free and easy. It creates a place to learn about the origins, establishment, development, related academic studies, art, performing arts, etc. of Ikebana, and strives to develop talent for the next generation.Main publications:
“Flowers of Ginkakuji Jisho-ji Temple: Zouka Shizen” (Tankosha),
“Ipponso” (Tokuma Shoten), and others
Morioka Masayuki
Born in Yamagata Prefecture in 1974. President of Morioka Shoten. Writer. Author of many books, including “A Tour of Ginza in 800 Days” (Bunshun Bunko) and “Forgiving Shortcake” (Raichousha). He also works as a curator, and will hold the second part of the exhibition series “Children and Radiation” in collaboration with the University of the Sacred Heart from October 30, 2023 to April 22, 2024.
https://www.instagram.com/moriokashoten/?hl=jaHiraiwa Sogo
Editor/Writer
Born in Takayama City, Gifu Prefecture in 1990. As a freelance editor/writer, he contributes to literary, cultural, and fashion magazines, and is involved in the planning and editing of books such as Octavia E. Butler’s “Children of the Same Blood” (translated by Fujii Hikaru, Kawade Shobo Shinsha). His translations include Virgil Abloh’s “Dialogue” (Adachi Press).
www.instagram.com/sogohiraiwaNatalie Cantacino
Photographer
Photographer from Stockholm, Sweden. Studied Japanese culture and photography in Tokyo, and is active in the fashion, documentary, and lifestyle genres. https://www.instagram.com/nanorie/