渡辺志桜里×鈴木純 銀座植物観察対談

文/上條桂子
写真/上澤友香

2024.11.11

資生堂ギャラリーでは、2024年11月6日(水)から12月26日(木)まで「渡辺志桜里 宿/Syuku」展が開催されます。渡辺志桜里さんの代表作《Sans room》は、水槽やプランターなどをホースでつなぎ、水やバクテリアを循環させ生態系を構築するもので、本展でも過去最大規模のインスタレーションが展開されます。今回はアーティストの渡辺さんと、植物観察家/植物生態写真家の鈴木純さんとともに、銀座の周辺にある植物の観察会に出かけました。植物から見た銀座の街は? そして植物観察家の鈴木さんから見た渡辺さんの作品とは?

——今日は銀座7丁目にある資生堂本社を出発し、花椿通り、並木通り、交詢社通り、外堀通り、晴海通りを歩きながら、数寄屋橋公園までを植物を観察しながら歩きます。距離にすると非常に短いですが、植物を観察しながら楽しんで散歩できればと思います。

 

鈴木純 よろしくお願いします。先ほど少し下見をしてきたんですが、都市の植物というと、基本的に歩道脇の植栽や石畳の境などを見ていくんですが、銀座の街はすごいですね。草を目の敵にしているというか、草に対しての厳しさがうかがえます(笑)。

渡辺志桜里 確かに、絶対に生やさないぞという意志を感じますね。

鈴木 石畳の隙間にも一本も草が生えていない場所もありますね。でも、石畳の隙間をよく見ると、ほら、ここにはカタバミがありますね。このように隙間に埃や葉っぱなどの有機物が落ちるとそれが土になって、そこに風で運ばれてきた種が芽を出す。

並木通り/カタバミ

渡辺 土がなくてもいいんですね。

鈴木 それが今日のひとつのポイントです。植物というのは、生きる環境を自ら変えていくことができるんです。土がない隙間でも、落ち葉や埃などの有機物があれば、そこで芽を出すことができる。自分が生きていく場所自体を変える、広げることができる。それが植物のすごいところなんですよ。

渡辺 あ、小さな種を見つけました。

鈴木 これはツゲの仲間の種ですね。場所さえよければ芽生える可能性がありますね。

渡辺 種はだいたい何年くらいもつのでしょうか?

鈴木 種類によりますが、土の中で30年生きる種もあるし、すぐにダメになっちゃう種もある。それぞれとしかいいようがありませんが、長いものは長いですね。ここがすごいんですよ。

一本も草が生えていないかと思えば

突然植え込みが豊かな場所もある銀座

 

渡辺 イチジクですね。葉っぱからすごくいい香りがします。実はなっていないのかな?

鈴木 そうなんですよね、実もなっていないですし、あまりに大きく育ってるので、本当にイチジクかなと不安になりますが、この甘い香りはイチジクですよね。すごく背が高く生長していて。すぐ近くの歩道の草は一本も生えていないのに、突然こんなにイチジクが生い茂った場所がある。ちょっと不思議ですよね。

交詢社通り/イチジク

渡辺 イチジクを捨てたとも思えないし。誰かが植えたんですかね? シードボムとか(笑)。

鈴木 だったらすごいですね(笑)。鳥が糞で種を運んできた可能性もあるかな。

渡辺 このまま気づかれないように元気でいてほしい。

鈴木 いやでもさすがにここまで伸びていたら気づかれてるんじゃないですか? きっと市民権を得たんじゃないかな。銀座の人たちのなかで取捨選択が行われているということで、これは生かそうとか、こっちは抜きたいという判断基準があるんだと思います。例えば、植え込みにあるヒラドツツジやアジサイなんかは明確に人が植えたものですよね。だけど、さっき見たイチジクはたぶん違うと思います。きっと最初に街の景観をどう見せていこうという計画があって植えていたのだと思いますが、途中からいろんな登場人物が現れてカオスになってしまったという。

渡辺 下町は植え込みもいろんな人の手が入って、カオスなところが多い気がします。中心に近づくにつれてコントロールが強くなっていくような。

鈴木 そうですね。だから銀座はちょっと珍しいのかもしれませんね。雑草に厳しくて徹底的にガチガチにコントロールされている場所があるかと思いきや、イチジクやエノキみたいに絶対に外からやってきた木が元気に生かされていたりする。もはや何がメインなんだかわからなくて、どの植物がどこからやってきたのか読み解けない環境が形成されている。

外堀通り/イチジク

渡辺 賃貸の家の庭とかも雑草が生えないように覆ったりしているところもありますよね。雑草が人工物にダメージを与えたり家に侵入すると思われているんでしょうか?

鈴木 確かに侵入者への畏怖みたいなものはあるかもしれませんね。僕はいま山梨県北杜市に住んでいるのですが、ちょっと草刈りをしないとすごいことになっていて恐怖を感じることもあります。でもね、隙間に生えている小さい雑草なんて何に対してもダメージを与えたりしないから全然平気なんですけどね。あ、トキワハゼが生えてる。

渡辺 可愛い〜! 花の形がスミレみたい。

鈴木 これ、実もあるんですよ。こういう植物は、その場で花を咲かせて実をつけて、ポロンと種を落として、近くに増えていきます。見れば近くにもありますよね? 草ってどれだけ敵対視しても、完全に取り払うことってできないんですよ。この青くて小さな花。これがめっちゃ可愛い、キュウリグサです。名前の由来は、葉っぱをつまんでモミモミしてちょっと匂いを嗅いでみてください。キュウリの匂いがするでしょう。キュウリグサの覚え方を教えましょう。地際に生えている、生えたての葉っぱがスプーンのような形をしている。揉んでみてキュウリの匂いがしたら正解です。

外堀通り/キュウリグサ

渡辺 確かにキュウリの匂いがしますね。

鈴木 これ、本当は春の野草なんですよ。ひょっとしたら今の季節を春と勘違いして咲いちゃったのかもしれません。都会の地面は熱しやすいので季節感がなくて、勘違いしちゃう草が多いんです。周囲のお店の照明の明るさが影響していることもあります。あとは、コミカンソウという葉の裏にとっても小さいミカンのような実がなる草があるのですが、それが都会で見られる二大可愛い植物なので、覚えておいてください。

空中をフワフワと放浪する

植物が都市で生き延びる

 

鈴木 これはオニタビラコ、こっちはノゲシですね。街中の雑草は「放浪種」っていうのが多い。種が綿毛でふわふわ飛んでいくヤツですね。何故かというと、街中の土はいつひっくり返されるかわからない。いつ生きていく場所がなくなるかわからないという不安定な環境の中で生き延びていく種というのは、絶えず空中をフワフワと放浪し、どこかに着地したらすぐに花を咲かせて綿毛をつけてまたどこか別のところに行く。そういう暮らしをしている種が生き延びるんです。

渡辺 いいですね、そういう生き方。すごく都会的だと思います。

鈴木 だから街中にはたくさんの種が飛んでいる。銀座だけではなく街という場所がそういう生き方をするところで、放浪種が多く、フワフワして種を増やしていく植物が多いんです。そして放浪種は芽生えてから花を咲かせて種をつけるまでのスピードがすごく速い。また、他の増え方としては、例えばナンテンやヘクソカズラなどのように、鳥などの媒介者の体内を使って種を運ぶ植物がいます。

渡辺 オオバコがいますね。

鈴木 オオバコは水に濡れるとネバネバする。それで人の靴の裏にくっついて運ばれていくことが多い。あと、街中にはエノコログサのようなイネ科の植物が多いんですが、それって虫が少ないからかもしれません。。イネ科の植物は花粉が風で運ばれていって受粉するので、虫に運んでいってもらう必要がない。シロツメクサもありましたが、本当は花を咲かせて受粉して種で増えるはずなんですが、茎を横に伸ばして根っこを地面に下ろしながらどんどん増えていく。少し見ていくとわかると思いますが、街中にあるのはだいたい同じ種類で、分布についてはよくわかりませんが、1人で生きていけるタイプの植物が多い。

渡辺 すごく都会っぽいですね。

鈴木 数寄屋橋公園には大きなエゴノキがあるんですよね。この実は、皇居にも生息する鳥ヤマガラの大好物。実の外側は毒で、皮が剥けると油分の多い種が出てくる。ヤマガラは貯食をするので、種を集めてためておくんです。ひょっとしたら皇居からヤマガラが飛んで来るかもしれませんね。もし飛んできていたら皇居から日比谷公園、数寄屋橋公園と繋がりが見えてきたりして面白いんですが、ちゃんとそういうデザインされてるのかな?

数寄屋橋公園/エゴノキの前で

渡辺 どうなんでしょうね。あまり考えられていなさそうに思います。こんなに短い距離を歩いただけなのに、生き物に対しての厳しさが感じられました。都市で暮らしていると、いつもそう思います。植物や小さな生き物たちがちゃんと繋がるようになれば、すべての生き物が生きていきやすくなるんじゃないかって。例えば子どももそうですよね。草一本生えていなくて、虫も鳥も生きられないような場所は子どもにとっても息苦しい。子育てをしているとすごく感じます。鳥や虫が生き生きしている場所だったら、子どもにも寛容になれるのに、と。

鈴木 そうですよね。僕は東京出身だし、東京も大好き。1人で生きていたときには何の不自由も感じることなく、暮らしていました。でも、子どもができて2歳になったときに、子育てしづらいなと感じて田舎への移住を決めました。街中の植生を見ていると、その理由もわかる気がします。もちろん銀座に限らずですが、街中はどこも、植物が単独で生きていて、木も景観上植えられているものが多い。ちょっと生え過ぎると抜かれてしまったり、草一本生えていない場所があったり、植物はどんな場所でもフワフワとたくましく生きていますが、他の生き物にとって生きていきやすい場所では決してない。経済的合理性から外れるものが排除されてしまうという。

渡辺 都市デザインの領域に鈴木さんみたいな人が入ったらいいのに! もちろん経済的なことも重要だとは思いますが、そういう感覚って人の意識にもかなり侵食するので、どうしても空気がギスギスしてしまう。子どもだけじゃなく、世の中に困っている人って他にもたくさんいて、でもその当事者になれるわけじゃない。子どもができたことで、ちょっとした息苦しさみたいなものに気づけるようになったのはよかったなと思っています。

人間以外の生き物が休める場所が

都会には必要

 

鈴木 でも、前向きに考えると銀座の近くに皇居や日比谷公園があるのはすごくいいことで、もっと繋がるように都市をデザインしたり、大人だけじゃなくて、子どもや虫、鳥、他の動物も生きていきやすい街になるといい。そういうのって本当に小さなことから始められる。僕は家の庭にトロ舟(モルタルの練り混ぜなどさまざまな用途に使用できるプラスチック製の容器)を埋め込んで水たまりをつくったんです。そういうものがひとつあるだけで、生き物がやってくる。トンボも飛んでくるし、アメンボもくるし、カエルが棲みついたり、絶滅危惧種のゲンゴロウもやってきました。

渡辺 私も皇居前の建物にミツバチの巣箱を置いていて、皇居のニホンミツバチがやってこないかなと思っているんですが、遊びに来てはくれているんですが棲みついてはくれません。

鈴木 でも、ミツバチが休む場所、そういう中継点をつくるだけで街はつながりますよね。街を全部緑道で繋がなくてもいいから、水たまり程度の中継点があちこちにできると、もう少し生き物に優しい街になる気がします。渡辺さんは《Sans room》という植物や生き物の繋がりや生態系を扱った作品を制作されていますが、そこにいれる植物はどうやって選んだんですか?

渡辺 最初は採取した雑草を入れていたんですが、植物だったんですが、けっこう逆に難しくて、いまは普通に野菜を育てていて、作品をつくり始めたのが2017年なんですが、そのとき育てたものを継続しています。種類としては特にこだわりはありませんが、一応固定種で種から育てるようにしています。

鈴木 なるほど。まだ実際に作品を拝見できていないので、なんとも言えませんが。どんな感じなんでしょうね。

渡辺 かなり人工的なイメージなんです。自然の要素をバラバラにして設置しているので、何がどう繋がっているのかは、パッと見ただけではわからない。魚がいて、虫がいて、バクテリアは目に見えませんが、全体が水で繋がっていて循環している。なんとなく、さっき鈴木さんが言っていた、家にトロ舟を置くような、そんな意識に近いのかもしれません。自然の中にあるのが一番簡単な方法なんですが、自然と切り離した状態で自律した環境ができないかなと模索していて。

鈴木 僕はアートに明るくないのでよくわかりませんが、アート作品で完成形がなくて、ずっと変化し続けるのってすごく不思議で、僕が考えていた作品とは全然違う。でも、「自然」って考えると納得するというか。自分の立ち位置もわからないし、どこに行くのかもわからない、その感じ。面白いですね。

渡辺 そう、完成形がないんですよ。また、主従に関してもそうで、私がつくっているのか、私は作業員として動かされているのか……。どうしたいの? とか何のためにやってるの? って聞かれてもわからないんですよね。

完成形がなく常に変化するアート

それは、自然観察のよう

 

鈴木 非常に自然観察的だと思いますが、何のためにやっているのかわからないというのは、どういうことですか?

渡辺 本当に何をやっているんだかわからないんです。だって、目的って難しくないですか? 生きる目的って聞かれても、そんなことはわからない。生きて死ぬだけ。それと同じで。

鈴木 面白い活動ですよね。僕自身も何をやっているかわからなくて、わからないまま生きてきちゃったという感じなので、気持ちとしてはよくわかります。これって表現の方法がないですよね。会社を辞めて、どうしようかなと思っていたときに、植物なら好きだしよく知ってるという理由だけで植物ガイドを始めたんです。そうしたら、次々と声を掛けてもらうようになって……、本を書いたり、テレビに出演したり。そこに、自分のコントロールは全然入っていません。

渡辺 さっきの雑草の話と似ていますね。フワフワとしていたら、どこかに停まって、またフワフワしてという。

鈴木 逃げから始まってますから。頑張るっていう要素をなくしました。何かになろうって思っていないし、言われたことをやってきただけなんです。渡辺さんの作品からもそういう雰囲気を感じます。何か目的があって作品をつくっているのではなくて、でも作品自体には渡辺さんの手が加わっている。それって説明できない自分自身を作品の中につくっているんじゃないのかなという気がして。ある種の自己紹介をしているような、そんな作品なのかなと思いました。

渡辺 そうかもしれません。

鈴木 僕も自分なりの《Sans room》をつくりたいっていう気持ちになりました(笑)。渡辺さんのかたちとは絶対に違うけれども僕が感じる循環システムができる。

渡辺 それは面白いですね。

鈴木 植物のどこが好きかと考えたときに、それはやはり「変化すること」だと思うんです。人工物を見ていても、数分、数時間、数日見ていても変わらないですよね。それをずーっと観察し続けるのも、面白いと感じる人もいるかもしれませんが、僕はちょっと違って。植物の場合は、先ほどヤブガラシがありましたが、指をあてていると、たった6分くらいでその指に巻き付いてきます。そういった変化に喜びがあって、命っていうことの証明なんだと思います。そういう意味で、変化するアート、完成しないアートはすごく魅力的だと思いました。

渡辺 私は面倒くさがりなので、本来であれば完全に自律したシステムをつくって、私は見ているだけっていう風にしたいんですが、そうもいかなくて(笑)。本当に手が離れないんですよ。また、自分がいくら考えても、自然って絶対にその通りにはならなくて、いい意味で裏切られる。それはすごく気持ちいいですね、虫がわいたりギョッとすることもありますが(笑)。

鈴木 渡辺さんも生態系の一部になっているっていうことですよね。今回の展示では、《Sans room》の他にも、能の作品やパフォーマンスも披露されると情報をいただきました。どうなるのかがまったく想像できません。

渡辺 実はまだ制作中で、大変なことになっているんです(笑)。新作能は、『翁』という演目から着想を得て、加藤眞悟氏(能楽師)、安田登氏(能楽師)、ドミニク・チェン氏(情報学研究者)というメンバーで制作しています。能はもともと神事と農耕の歴史と重なっていて、主人公もあらかた普通の人間ではない、幽霊や石、動物という視点から語られているものが多い。コロナ禍に、この作品をつくっていたこともあり、人間が認知できていない世界に着目する考え方が広まりました。このときに、ふと能を思い出し、能自体がアニミズムの考え方でできているじゃないか、と考え、ストーリーをつくっていきました。会場では、《Sans room》と新作能の映像、サウンド、そして山口淳さんによるパフォーマンスが混在したインスタレーションになると思います。

資生堂本社ビル屋上「資生の庭」で

渡辺志桜里 宿/Syuku 開催概要

主催:株式会社 資生堂
協力:大丸松坂屋百貨店[Ladder Project]
会期:2024年11月6日(水)~12月26日(木)
火~土 11:00~19:00 日・祝 11:00~18:00 毎週月曜休 (月曜日が祝日にあたる場合も休館)
会場:資生堂ギャラリー
〒104-0061 東京都中央区銀座 8-8-3 東京銀座資生堂ビル地下1階
URL: https://gallery.shiseido.com/jp/exhibition/7689/ (渡辺志桜里 宿/Syuku 詳細ページ)
入場無料

Shiori Watanabe × Jun Suzuki Ginza plant observation dialogue

2024.11.11