私の一部、私のすべて #耳

文/山内マリコ
写真/当山礼子

2024.12.25

私たちをかたちづくり、個性や記憶を宿す大切な存在――。日々の手入れや触れる感覚を通して、そこに秘められた物語を感じることができるのではないでしょうか。作家・山内マリコさんが紡ぐ、体に宿る静かな物語をお届けします。

耳はオブジェだ。

 

いびつで複雑。

謎めいて独創的。

奇妙奇天烈、へんてこりん。

迷路のおもちゃみたいな。

大自然が作り出した

リアス式海岸みたいな。

実に見事に、こんがらがった造形。

 

一度、気になり出すと止まらない。

フェティシズムの

扉が開いてしまいそうな、

魅惑のパーツ。

 

耳。

 

そのうえ耳の奥には、

もっともっと入り組んだ、

不思議な形が隠れているらしい。

 

一度入ったら

二度と出られないような

難しい迷路を隠し持つ、耳。

 

わたしたちの体は一対のオブジェを、

独創的なアートを有する。

 

それはまるで宝物のように、

顔の横っちょに、くっついている。

 

考えうる限り、

もっともユーモラスな

体の一部だ。

 

しかも耳は、眼鏡をかけたり

マスクをつけたり、することもできる。

なんて役に立つパーツ!

 

耳は、

見た目も素晴らしいうえ、

使い道も多数。

 

さらに素晴らしいことに、

耳というオブジェは、

体にはめずらしく

美の基準がない。

 

太古の昔から現代にいたるまで、

耳は自由だ。野放しだ。

野性の匂いのするワイルドな部位。

 

耳は、それ自体がすでに

オブジェであるにもかかわらず、

ときに装飾される。

 

ちょっとくらい穴を開けられても、

へっちゃら。

カスタマイズ自由。

それを許容するだけの、

耐久性と柔軟性を備える。

 

耳は偉大だ。

 

そして、誰にもそのことを意識させず、

ひっそりと静かに佇んでいるのだ。

 

ときには髪に隠れて。

ときにはサイドの髪の、

ストッパーを兼務しながら。

 

そしてなにより耳は、

休むことなく、

絶え間なく、

「聴く」という仕事をこなす。

 

朝、アラームの音で目を覚ますときから、

夜、眠りに落ちるまで。

一日中ずっと。

スイッチは入りっぱなし。

耳はほんとうに働き者だ。

 

他者の声を「聴く」という行為を

粛々とこなす、耳。

外部に開かれた、受動的な機関。

 

「聴く」は、それ自体が、

相手を尊重するための行為だ。

「傾聴」とは、心の態度。

自分と違う誰かの声に、耳を澄ますこと。

今の時代に、いちばん必要な。

 

耳はときに、

聞きたくないことまで聞いてしまう。

耳は痛みを知るが、取捨選択はせず、

「聴く」に徹する。

そしてただ、わたしたちに言葉を運ぶのだ。

 

そのうえ、わたしたちはそのパーツを、

引っぱったり、押したり、

揉みほぐしたりすることで、

不調が改善されるはずだと信じている。

なんて虫のいい話だろう……

けど、ありそう!

耳にはそういう、

摩訶不思議な効能が、

ありそう!

 

耳を揉むだけで、

体がぽかぽか温かくなり、

低気圧から

わたしたちを救い出してくれる。

そんな期待まで背負いながら、

耳は

誰かの声を

あなたに届けつづける。

山内マリコ
小説家。1980年富山県生まれ。2008年に「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞。2012年、受賞作を含む連作短編集『ここは退屈迎えに来て』を刊行しデビュー。その他の著書に『アズミ・ハルコは行方不明』『あのこは貴族』『選んだ孤独はよい孤独』『一心同体だった』『すべてのことはメッセージ 小説ユーミン』『マリリン・トールド・ミー』『逃亡するガール』など。
https://x.com/maricofff
https://www.instagram.com/yamauchi_mariko/

当山礼子
写真家。沖縄県出身。2008年よりスタジオアシスタントを経て、フリーランスとしてロケーションアシスタントを務めた後、独立。2015年フォトグラファーとしての活動を開始し、UNION MAGAZINEをはじめとするさまざまなファッション誌、広告、媒体で活躍し今最も注目を浴びる
ファッションフォトグラファー。
https://www.instagram.com/reiko_toyama/