ちゅーりぱん

詩/古林暁

2025.1.1

ずっと昔のことです

この島にこしてくるまえのことです

 

音楽堂の庭は雪でいっぱいでした

ちっちゃいちっちゃい緑がとびでていました

《かっく えーた なじゔぁーえっつぁ》と

ぼくはぱちくりぱちくりききました

心に言葉がうまるまえの

とおい島へはなれるまえの

最後のながい冬のことでした

 

母はにぎっていた手をぱらっとほどいて

《ゔぃ に ずなーえちぇ》と

ほんわりほんわりききました

《だー や に ずなーゆ》とうなずくと

ふんわりふんわりまっしろの手をひらいて

僕の胸の高さで

親指と親指を

小指と小指をくっつけたのです

 

《かっく ぱるーすき》とうながしますが

母はかじかむ両の手をさしだすばかりです

せつなくってせつなくって

僕はまっかにそまったまずしい手をひらいて

親指と親指を

小指と小指をくっつけました

 

母はおおきな瞳をかたくとざして

「まっかのおはな まっしろのおはな

いろとりどりのすべてを

手ばなさないためのなまえ」をおしえました

 

《えーた 「ちゅーりぱん」》

母はぼってりぼってり唇をうごかすと

ぎゅっとぎゅっと僕の手をつかんで

いっさいふりかえらずにあるきだしました

僕は《いしょー らす》とせがみましたが

にどとおしえてくれませんでした

僕は《いしょー らす》とせがみましたが

つよく手をひかれて

くらいくらい街をさりました

 

つめたくかわいた高原から

あたたかくしめった島へきたぼくは

かつての言葉の多くに蓋をして

はきなれない靴で日々をすごしています

親指と親指を

小指と小指をくっつけてみても

「ちゅーりぱん」という音だけが

むなしくひびくのです

母の声も一面の雪もわすれてしまったのに

「ちゅーりぱん」という音だけが

今もむなしくひびくのです

選評/環ROY

 

 北方から南方へと移動した幼児は、やがて成長し、過去を回想する。
 この詩を最初に読んだとき、小説のような印象を受けた。ヘミングウェイが生み出したとされる「シックスワード・ノベル」は小説と定義されているが、あれは詩ではないのだろうか。そんな疑問を思い出し、詩と小説の違いについて考えた。
 親指、小指同士をくっつけると花のような形になる。「ちゅーりぱん」は「ちゅーりっぷ」を意味しているのかもしれない。そうなると「いしょー らす」は「いっしょにくらす」という意味だろうか。幼児言葉で過去を回想しているのではないかとも感じたが、「ゔぃ に ずなーえちぇ」や「かっく えーた なじゔぁーえっつぁ」などからは確固たる意味を引き出すことはできず、架空の言語かもしれないと思った。
 小説的、物語的な拘束力が強い場において、意味の掴めない言葉は空洞となり、詩情を宿す器として機能するようだ。抽象的な郷愁や寂寞(せきばく)が、「ちゅーりぱん」という空洞に集中する。そして響き、消えしまう。
 次々に忘れていってしまっても、感傷だけは残る。私もそう思う。