「一つだけ願いをかなえてあげよう」
と言われたので
「自分の背中を見てみたい」
と答えた
それで 今
しみじみ 背中を見ている
ストライプ ドット
ヒョウ柄 花柄
モナリザや見返り美人
未知の世界地図
想像はどれもはずれ
初めて見る背中は
乳白色の雪原のように
ゆらゆら 広がっていた
まん中の赤い一本の線は
橇の跡らしい
「背中ってやつは」
と突然 誰かが言う
「いったい何の役に立っているのか」
「背に腹は代えられぬ」の
永遠のライバル 腹の声だ
大切なのは
役に立つ 立たないではなく
ただ そこにあること
ただ 誰かのそばにいること
背中はやんわり反論した
背中に耳を寄せる
せなせなせなせなせな……
地下水のように
かすかに聴こえる
透き通った歌
背中に手を差し入れる
鉱石のように隠れている
なくした指輪
言いそびれた言葉
忘れてしまった約束
それで 今
しみじみ 背中を見ている
それで 今
橇に乗って
あたたかい眠りの森に
吸い込まれていく
せなせなせな せなせなせな……
背中が
わたしを
抱きしめる
選評/環ROY
自分で自分の背中を見る、と聞くと、私は幽体離脱や死を連想した。そして『肉体は器で、そこに魂が宿る』という二元論的な世界観を、自分が内面化していたことに気づいた。背中は自身にとっての死角であり、決して肉眼で見ることはできない。だからこそ、背中は現実を超えて、暗喩として機能する。自分の身体でありながら、どこか他の場所のようにも感じられる背中には、抽象化された自我や記憶を隠すことができるようだ。
途中、腹と背中のやりとりに思わず口元が緩む。さらに、せなせなとかすかに聴こえる『背中の歌』によって超然としたコジコジ的な世界が立ち上がり、つい吹き出してしまった。背中と腹、精神と身体、目覚めと眠りが融和するように、眠り際の私を背中は抱きしめてくれる。背中への洞察は、自己への肯定や治癒と結びついている。ほどよい飛躍とユーモア、静謐さと温みが共存し、ロウソクの灯火を眺めるような心地よい詩だと感じた。