私の一部、私のすべて #髪

文/山内マリコ
写真/当山礼子

2025.2.5

私たちをかたちづくり、個性や記憶を宿す大切な存在――。日々の手入れや触れる感覚を通して、そこに秘められた物語を感じることができるのではないでしょうか。作家・山内マリコさんが紡ぐ、体に宿る静かな物語をお届けします。

なんの偶然だろうか。

それとも、

作為があってのことだったのか。

 

進化の過程でどうしてだか、

髪が残った。

 

ああ、摩訶不思議。

 

大いなる謎。

 

体毛はあちこちにある。

腕にも、脚にも、背中にも。

 

ムダ毛と呼ばれる毛は、

私たちの体の中に、

野性が残っていることを知らせる。

 

なくそうと努力しても、

小細工を嘲笑うかのように、

ちょろりと生えてきて、

ワイルドな雄叫びをあげる。

 

ウオォォー!

生きてるぞーって。

 

けど、髪は特殊だ。

 

顔の大半は

肌がむきだしになっているのに、

頭をぐるりと覆うように、

髪の毛が残った。

 

髪はその、

驚くべき多様性によって、

私たちを分け隔てる。

 

人種が違うのだと、

きっぱり宣言する。

 

色が違う。

手触りが違う。

なにもかもが違う。

 

はちみつ色のブロンド、

にんじんと称される赤毛、

カラスのような、濡れた黒。

 

さらさら、

くるくる、

ふわふわ、

それから

つるつるまで。

 

あまつさえそれは、

外見に優劣をつける尺度となり、

人々を悩ませてきた。

 

自分の髪に

不満を持ったり、

悩んだりしたことのない人なんて、

いるだろうか?

 

誰しもが

自分以外の髪に一度はあこがれ、

切ったり、

染めたり、

編み込んでみたり、

剃り上げてみたりする。

 

髪はまさしく

額縁のように

顔を縁取り、

私たちを別人のように

変身させることができる。

 

ピンクに染め、

青に染め、

紫に染め、

緑に染め。

 

スーパーストレートにのばしたり、

エアリーなふわふわパーマにしてみたり、

大胆なアフロに挑戦したり。

 

人体に配備された、

遊びの余地。

 

髪は

人々の変身願望に

応えるために、

残しておかれたんじゃないかな。

 

 

だけど、

いくら自分じゃないものになろうとしても、

その小細工を嘲笑うかのように、

体は、

持って生まれた「毛」を生やす。

 

髪質に抗おうと、

時間とお金をかけたところで、

「地」が出てくる。

 

若いうちは、

負けるもんかと

ずいぶん奮闘する。

 

自分なんて嫌なの!

 

なりたい自分になりたいの!

 

それを手に入れるために、

骨を惜しまず、

染めたり、

巻いたり、

のばしたり。

 

満足のいく

自分になれたら、

顔を上げて街を歩く。

 

風に髪をなびかせて。

 

だけど、

最後は白。

 

みーんな、白だ。

 

髪は、

それまでさんざん、

「私たちは違う」と

主張していたのに。

 

年を取り、

老いると、

「私たちは一緒」と

態度を変える。

 

どの国に生まれても、

誰の血を引いていても。

 

最後は白。

みーんな白。

 

雲みたいな、

雪みたいな、

骨みたいな。

 

白は素敵だ。

 

私たちは最後に

みんなみんな、

素敵になる。

山内マリコ
小説家。1980年富山県生まれ。2008年に「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞。2012年、受賞作を含む連作短編集『ここは退屈迎えに来て』を刊行しデビュー。その他の著書に『アズミ・ハルコは行方不明』『あのこは貴族』『選んだ孤独はよい孤独』『一心同体だった』『すべてのことはメッセージ 小説ユーミン』『マリリン・トールド・ミー』『逃亡するガール』など。
https://x.com/maricofff
https://www.instagram.com/yamauchi_mariko/

当山礼子
写真家。沖縄県出身。2008年よりスタジオアシスタントを経て、フリーランスとしてロケーションアシスタントを務めた後、独立。2015年フォトグラファーとしての活動を開始し、UNION MAGAZINEをはじめとするさまざまなファッション誌、広告、媒体で活躍し今最も注目を浴びる
ファッションフォトグラファー。
https://www.instagram.com/reiko_toyama/