私たちをかたちづくり、個性や記憶を宿す大切な存在――。日々の手入れや触れる感覚を通して、そこに秘められた物語を感じることができるのではないでしょうか。作家・山内マリコさんが紡ぐ、体に宿る静かな物語をお届けします。
たしかにずっと、
そう言われてきました。
官能的なパーツですね、って。
くちびる。
リップ。
名前からして、
セクシーな感じですね、って。
唇。
ほら、漢字にしてみても、
どこか淫靡でしょう?
逃れられないんです、
そういう視線から。
くちびるが、
セクシーで官能的で、
淫靡なパーツである、
という事実からは。
宿命みたいなものです。
たとえるなら、そう……
生まれながらに
ずば抜けて美人なひとになら、
わかってもらえるかもしれません。
この、誤解されてばかりの気持ちを。
外面と内面は、
一致しないものなのに。
みんな見た目だけで
美人っていう「檻」に、
閉じ込めようとする。
美人ですね、という褒め言葉で
無意識のうちに、
縛ろうとする。
しゃなりしゃなりと動く、
楚々とした人物像を期待して。
高くてか細い声、
母性と自己犠牲精神を期待して。
だけどその人は本当のところ、
南極大陸に行きたいと思っている
冒険家タイプだったりする。
ビジネスでの成功を夢見る
野心家だったりする。
それが人間ってものでしょ?
だけど
人の想像力は怠慢だから、
美人には美人らしい規格から
けっして外れない性格を求めるの。
それで、期待から外れたら、
勝手にがっかりするの。
誰にも飼い慣らされない
おいそれと笑顔は見せない、
誇り高い女性たち。
そういう女性たちのくちびるは、
きゅっと真一文字に
結ばれている。
愛想なんか振りまかない。
むだに歯を見せて笑わない。
笑顔を安売りしない。
くちびるは、
意味もなく微笑んで、
媚を売るための道具じゃない。
くちびるは、
変幻自在に「あいうえお」と
形を変えることで、
無限に言葉を
あやつることができる。
会話することができる。
対話できる。
言葉による、
コミュニケーションを可能にする、
魔法の器官。
それは、
人間と動物とを、
はっきりと
別の生き物たらしめる。
実のところ、
私たちと猿を分けているのは、
くちびるという器官の
柔軟さ、特異さによるのだ。
ああ、なのに、ヒトときたら。
くちびると聞けば、
すぐに官能と結びつけてしまう。
彼女の魅力は分厚いくちびるだ、とか。
キスがどうとか言い出す。
くちびるは、
奪われるためにあるわけじゃない。
くちびるは、
性的アピールのために
くっついてるわけじゃない。
くちびるはね、
他者と会話するためにある。
自分の意見を言うためにある。
見た目とはまるで違う内面を、
わかり合うために。
言葉を重ねるために
存在しているのだ。
山内マリコ
小説家。1980年富山県生まれ。2008年に「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞。2012年、受賞作を含む連作短編集『ここは退屈迎えに来て』を刊行しデビュー。その他の著書に『アズミ・ハルコは行方不明』『あのこは貴族』『選んだ孤独はよい孤独』『一心同体だった』『すべてのことはメッセージ 小説ユーミン』『マリリン・トールド・ミー』『逃亡するガール』など。
https://x.com/maricofff
https://www.instagram.com/yamauchi_mariko/当山礼子
写真家。沖縄県出身。2008年よりスタジオアシスタントを経て、フリーランスとしてロケーションアシスタントを務めた後、独立。2015年フォトグラファーとしての活動を開始し、UNION MAGAZINEをはじめとするさまざまなファッション誌、広告、媒体で活躍し今最も注目を浴びる
ファッションフォトグラファー。
https://www.instagram.com/reiko_toyama/