
マシュマロの白さがめにやわい。ふくれてしぼんでしまいそうな、あかるい昼。わたしのなかを響く、季節から、季節まで、かろやかな陽のサイレン。わたしの服はカーテンのひらいた窓のように、人に優しく、あいをわたし、ときどき閉じて休みながらふわりとわすれる。りんごの香りと同じくらい、やわらかい秋の空が、わたしのあたまの上にあって、降り注ぐかのような。カチューシャをもし作れたら、空に留まる飛行機がこちらへ気さくに話しかけて、こんにちはー! って。だから私も、よい旅をー! ってきっと返事をするだろう。そうしたら、ありがとー! って言ってくれたら、なんだかよいことをした気分で、まっさらな空になるよ。
選評/金井万理恵(暁方ミセイ)
こういう詩を、「幸せな女の子のおめでたい作品だ」なんてもしも言う人がいたら、わたしが𠮟りつけにいきます。たしかに登場するものは、マシュマロ、ふんわりした服、りんご、カチューシャと、乙女チックに見えるかもしれない。そして、それらをちりばめた作者の意図も、心地よい世界への希求だと思います。でもよく読めば、けっして、裏側まで多幸感に満ち溢れた作品ではないとわかります。
「あかるい昼」は、ふくれきって、そのうち「しぼんでしまいそう」です。「わたし」は心と身体の中に「陽のサイレン」を響かせ、飛行機に「よいことをした気分」になれたら「まっさらな空になる」。服は、おそらく主人公の肉体を、「ふわりとわすれ」てしまう。
瑞々しく表現された秋の身体の感覚に隣り合うのは、実は世界への反発なのではないでしょうか。攻撃性とは真逆の、どこか、消滅願望へと繋がっている、受容と抵抗の拮抗状態。それがこんなに明るくやさしい詩になったことに、愛おしさを感じずにはいられません。生きんとする生物の、健気さを感じるのです。