
俺はいい格好をした。
アイロン仕立ての白いシャツ
染みたてのオイルジャケットを羽織る
無髯の若いデニムは
余計なことを考えさせない
俺は良い格好をしている。
スニーカーは潔白で
俺が進む道はオックスフォードになる
黒い犬がステップを踏んで
尾を空に真っ直ぐ向けても
優雅に太陽を仰げる
そう、良い格好をして。
俺のオックスフォードに邪魔が来た
そいつの胸倉に掴み掛かり
鼻頭めがけてブン殴る
倒した相手を唾とともに吐いてやった
「そこを退け、デコ助野郎!」
と
夢からはここで覚めた。
選評/環ROY
中学生の頃、国語の教科書で読んだ「おれはかまきり」という詩が、今も印象に残っている。
「なにこれ!?」と、子どもらしい衝撃を受けた。根拠のない自信に満ちた強い言葉に、痛快さとまっすぐなエネルギーを感じた一方で、あまりの無謀さに、どこか不安にも似た感情も抱いた。けれど今にして思えば、カマキリにとっての根拠は、生まれたことそのものにある。その一事で、すべてが足りていたのだ。
今回の詩「ウェストブリントン」は、その記憶の延長線上にあるように感じられた。真っ直ぐに歩くことが何より大切だ。そのために、服を整える。装いは見た目ではなく、歩くための根拠であり、武装でもある。いい格好をしていること。それが、前に進む力になる。
しかし、それはやはり夢だった。人間はカマキリのように超然とはいかない。根拠を求め、彷徨う生き物だ。たった一行で、虚しさと儚さに満ちた現実に引き戻す。そのニヒリズムが、強く印象に残った。