
肩から火が出た
というか そういわれて気がついた
火は熱くも冷たくもなく
ただのゆらゆらだった
だからそのままで過ごした
耳の辺りがただゆらゆらする
耳に何もつけたことがないが
イヤリングとかこんな感じか
ピアスって揺れるのもあるの?
それさえも知らない
私は耳の辺りをゆらゆらさせて
会う人ごとに燃えているっていわれて生きた
うん 燃えてる
そう答えれば
みんな頑張ってねっていって去って行った
きっと 何かが起こるのだと思った
だって 肩から火が出ているんだから
私は肩を燃やして生きて死んだ
それ以外は何も起こらなかった
本当に燃えた時
何かが起こっていたとしても
そのことは知らない
選評/金井万理恵(暁方ミセイ)
この決して長くはない詩のことを、ずっと考え続けていました。肩から噴き出す炎は、単なるイメージではないけど、単なる比喩でもない。ただ存在し、読者のなかで問いが生まれるのを無言で待っているようです。
火は、「私」にとっては熱くも冷たくもなく、まるで陽炎のように、まぼろしめいて燃えている。「私」を直接傷つけることはしません。だけど、状況の異様さから、他人は毎回びっくりする。思わず「燃えている」と口に出さずにはおられず、「うん 燃えている」と答えられると、「頑張ってね」と声をかけてそそくさと去っていく。何かできることがあるわけでもなく、ただ反応を得て、安全地帯に引き返していくのです。
ここでおもしろいのは、「私」も、肩が燃えているのは普通のことではないと感じていることです。
きっと何か意味がある、物語として回収できる出来事が起きると思いながら生きていくけれど、結局死ぬまで何かが起こることはない。死して肉体が本物の炎に包まれ、そこでやっと種明かしがなされたとしても、そんなこと、知ったこっちゃない……。
「肩の荷が下りる」「肩を貸す」「肩を落とす」など、慣用表現では、肩は役割や責任や期待などに関係しているようです。その場所が燃えているというのは、何か苛烈な運命を想像させますが、本人にとってはイヤリングかピアスのような存在感。ただ、「私」は実際には耳にアクセサリーをつけたことはないそう。顔回りに明るさや華やかさを演出、なんていうことには興味がない人物なのだと思います。
自分自身と、そのまわりにつきまとい、否応なく社会的な自分を構成する私以外の他のもの。その不可抗力の理不尽さに、「私」は怒りを抱いているようにも思えますが、彼女の怒りはもはや熱くも冷たくもない。透明で、だからこそ、読み手の心まで届いて灯り続けるものです。
「今月の詩」は、6月回をもちまして最終回となります。